10月のホットドッグ




酔っぱらった先輩が2千万円の撮影(予算?)をこなしたと言っていた時、僕は冷静な頭でギャラが交通費の2千円のみの撮影のことで頭が一杯だった。

損得勘定関係無しで撮りたいと思い持ち込んだ媒体での仕事だから、お金なんてどうでもいいけど、その撮影も前日にキャンセルになってしまった。





一口しかかじっていないホットドッグを道端で落とした。地下鉄へ下りる階段の入り口、しばらくそのホットドッグを凝視してしまった。
そのホットドッグを拾わずほったらかして去るのと、拾って食べるのでは今後の人生大きく変わるんではないかと頭の中で考えてしまったから。
人生の岐路と言えば大袈裟かもしれないけれど、僕はいつも些細なことでもそういうふうに考えてしまう癖があり、一旦そう考えてしまうと本気で悩んでしまう。人生とはこういう時の選択で構築されていくんじゃないかと、考えたくもないのに考えてしまう。


少し前に展示をやらせていただくことに決まった時もそう。
展示の打ち合わせの帰り、駅で階段を横目にエスカレーターに乗った時に「楽してるなぁ」と思った。と同時に「楽したら展示は成功しないんちゃうか!?」と考えてしまった。一旦そう考えてしまうと居ても立ってもおられず、のぼり切ったエスカレータから一旦階段で下までおりて、再度階段でのぼりなおした。それから展示が終わるまでの1ヶ月半程、一度もエスカレーター、エレベーターを使わなかった。

その間、せっせと階段をのぼる僕を見て友人は「生きにくいやろ」と笑ったが、本当は階段でのぼろうがエスカレーターでのぼろうが何も変わらないことは僕も知っている。
でも、一度頭で考えてしまったら、それを行動するか否かで何かが大きく変わることを僕は知っている。少なくとも次の一足の方向が。





ホットドッグ拾い上げて、その場から一歩も動かず食べ切った。態度表明のつもり。


いけるんちゃうか、と酔っぱらった頭で考えた。
なにが、いつ、なんてわからないけど、いけるんちゃうか、とその時は思えた。