金玉を鷲掴み

 
夜、仙川からの帰り道、地図はリュックにしまい込んで、迷子を楽しみながら自転車こいで家まで向かっていた。
 
帰り途中の道端で、自転車と共に倒れているおじさんがいて、心配になり話しかけた。
「大丈夫ですか」と声をかけると、返事はするものの、明らかに酒に酔った支離滅裂な返事。言葉からは九州出身なんだろうということがすぐにわかった。
立とうとすると再度自転車ごと転び、その転び方が本当に豪快で、それまでに何度も同じように転んでいたのだろう、ズボンの膝部分には多量の血が滲んでいた。
 
そうこうしていると、30代半ばくらいのスーツを着た男性が寄ってきて「おじさん、大丈夫?」と話しかけてきた。
そのスーツの男性と僕で、おじさんを立たそうと七転八倒してるうちに、おじさんはそのスーツの男性に怒り出し、「ええからほっとけボケェ! お前みたいなバカ者がぁ!!」と罵倒し出した。「どこのモンじゃわれぇ! ナメとったら弾いてまうどコラァ!」等と、まるでヤクザかの如くのセリフで罵倒は続いた。横を通り過ぎる人は驚いて避けて通り、スーツの男性にも緊張が走ったのがわかった。
 
おじさんは僕と二人の時にも、アホ だの ボケ だのと口は悪かったが、どこか憎めない雰囲気があった。それに対して、スーツの男性の態度や言葉の端々には、そのおっちゃんを(というより、酔っぱらって道端に倒れ込んでいる人間に対して)下に見たようなものを僕も感じていて不快だった。
 
そのスーツ男性が「バカにバカって言われちゃった」と言い、鼻で笑ったので、僕も頭にきて「おっちゃんが もうええ 言うてるんやから、行ったらええんちゃいますか。酔っぱらい相手に捨てセリフなんて吐かんでええでしょ」と言うと、プイっと振り返って立ち去っていった。
 
結局、僕が右手で自分の自転車、左手でおじさんの自転車を押して歩くことになり、おじさんは僕が押すおじさんの自転車の荷台に掴まって歩くという、端から見たらヘンテコ二人組の珍道中みたいに見えたと思う。
それからおじさんが何度か転んだり、駐車していた大型バイクに寄り掛かって倒すという事はあったものの、なんとか無事におじさんの家まで辿り着いた。
 
おじさんの家はビルの三階にあった。そのビルにエレベーターはなく、階段はとても急だった。おじさんが転げ落ちてはいけないので、僕はおじさんについて後ろから階段を上がっていった。途中、「中島らもはこんな感じで階段から転げ落ちて亡くなったんやろか」と漠然と考えた。
 
三階の部屋の前まで着き、おじさんは鍵を出すが酔っぱらって鍵穴に差し入れることができず、僕が鍵を受取ってドアを開けた。僕の腕をつかんで「一杯飲んで行け!」と言うので遠慮せず、好奇心も後押しし、お邪魔することにした。
 
おじさんは黒い革のソファーに どかっ! と腰をかけると上のジャケットを脱いで肌着一枚になった。上半身は、それは見事な入れ墨でビッシリと飾られていて、「あ、ほんまもんなんや」と思った。僕が無遠慮にまじまじと見ていると、おじさんは自分の腕の菱形の入れ墨を指差し、「これが本家の代紋じゃ」と言った。
 
冷蔵庫から取り出した缶ビールに始まり、焼酎、ジャック・ダニエルと進むうちに色んな話しを聞かせてもらった。
 
九州時代のこと/ヤクザ時代のこと/解散させられた時のこと/女のこと/男のこと/若者のこと/日本のこと
 
僕も酔いがまわり出した頃、おじさんはうつらうつらし出し、「好きな時に帰れよ、俺はもう眠ぅなった」と言い、ソファーで寝始めた。
僕は目の前の酒を飲み干し、帰ろうと立ち上がり靴を履き、さて鍵はどうしたもんかと考えていると、「鍵はそのままでええ」と、寝たかと思っていたおじさんが言った。
 
「お前は気ィ入っとる。何倍もがんばれ。いい目ん玉しとるから大丈夫や」と言ってくれた。
 
僕は ハッ! とした。数日前に経験した似たような忘れられない出来事を思い出した。
 
 
 
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先日、ある映画監督を尋ねて行って写真をみていただいた。
 
ずっとこの人に見てもらいたいと思っていたが、ネットから何からどう調べてもホームページも何も見つからず、どうすれば会えるのかが全くわからなかった。
そんな折、役者の先輩から芝居の案内メールがあり、その芝居のアフタートークのゲスト欄にその映画監督の名前があった。
僕はその人のトークの日、リュックに写真を詰め込んで行った。
 
芝居が終わり、アフタートークが終わり、会場から出て、僕はその人を待った。
その人が関係者や役者に挨拶されながら会場から出てきた。
役者か誰かが追いかけるだろうと思ったが、挨拶するだけで誰も追いかけはしなかった。
僕は追いかけた。地下の飲み屋へと下りる階段の途中で僕は追いつき、声をかけた。挨拶し、「写真をみて下さい」と言うと、振り返り僕の顔を ジッ と見、「尋ねておいで」と言った。すぐさま横にいたお付きの方が名刺を出してくれた。
 
翌日すぐに連絡をし、会っていただく日を決めていただいた。
 
 
写真を見ていただいてる最中、「あぁ、俺はこの人と対峙して写真見てもらってるんや」と思った。「もう誰と対峙してもビビることはないな」とも思った。
 
実際、僕にとってこの人に写真を見てもらうということは、どんな人と対峙するよりも覚悟を強いられることだった。
今まで展示させていただいたり、雑誌に作品を掲載していただいたりということを多くはないが経験させてもらっている。そんな中で見られることに対しての多少の免疫はつき、自分の自信がある部分、自分の嘘をついてない部分に関しては、何か批判めいたことを言われても「それはその人の意見」と思える打たれ強さも少しは身についていた。
実際、ある人に「この写真は素晴らしいね」と言われた写真を、別の人には「これはいらない」と言われたことも何度となくあり、そのどちらともが写真の権威、もしくは写真を扱っている人だったりすることも多く、そんな時の判断は自分に委ねるしかなかった。
 
しかし、もし「全くダメだ」と言われて、この人の心に何も残らなければ、もう全てが終わりだというような気がしていた。
こういう気持ちになる時、僕は、写真を見てもらいたいというより、対人間として触れたくて行動しているのだと思う。
 
「どこか紹介してほしいとこあるか。どこでも紹介してやるよ」
僕のブックを バタン と閉じ、その人は口にした。
 
「俺は顔を見て決めるんだ。お前はいい目をしてるから大丈夫」
と言ってくれた。
 
思えば、階段で声をかけ、その人に顔を ジッ と見られた時(1、2秒くらいの短い時間だったと思うけど)、むんず! と金玉を鷲掴みにされた気分になった。
 
帰り際、連絡先を置いていきなさいと言ってもらい、名刺を渡して帰った。
 
「また会おう」
 
事務所を出る時にそう声をかけてもらった。
 
事務所のあるマンションを出て、最初に見つけたコンビニのトイレに入って鏡を見た。少し期待して鏡を見入ったが、前日からの寝不足の影響でいつもよりも少し充血した目以外は、いつもとなんら変わらない自分の顔があった。
 
 
 
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「また遊びにこい」
 
そう言っておじさんは缶ビール2本とチョコレートをお土産にくれた。
 
 

 
 
このお二人共に九州出身の方だった。