Hello, my name is KAKUGO.

 
先日、僕が休みの日に男性が僕を訪ねてうどん屋に来たらしい。店のスタッフが「今日、S(僕)は休みをいただいています」と伝えると、「人に紹介されて会いに来ました。また来ますので、彼の今週の出勤日を教えて下さい」と言い、僕のシフトをメモして帰っていった。帰り際に「同業者です」と言って置いていった名刺には某有名マネージメント事務所の名前が記載されていた。その男性の肩書きは”フォトグラファー”だった。
 
何の面識もない方だったので、訳が飲み込めないまま名刺に記されていたホームページを見ると、その人は大きな仕事をこなし大活躍されているフォトグラファーで、増々訳がわからなくなってしまった。
 
 
後日、再度その人が僕を訪ねて来た。やはり顔を見ても初対面だったので戸惑いながら挨拶をし、僕に会いに来た理由を尋ねた。
 
その人が言うには、デザイナーのNさんに写真の持ち込みに行ったところ、Nさんが「とりあえずこいつに会ってこい、何処ソコらへんのうどん屋で働いているから」と言ったらしい。
 
 
Nさんとは、僕が塩竈フォトフェスティバルに参加させていただいた時にレビューアーの一人として写真を見ていただいた時に初めて対峙した(トークショーなどで一方的にお見かけしたことはあったけど)。高橋恭司さんのこと、ボリス・ミハイロフのこと、そして写真のこと、レビューの規定時間を大幅に過ぎながらも話してくれた沢山の写真の話はほんとうに楽しかったし、刺激的だった。
次にお会いしたトーキョー・ポートフォリオ・レヴューでもレビューアーとして写真を見ていただいた。「アホだアホだ」と笑いながら僕のブックをめくってくれた。

 
そのNさんがその人に「お前とAとS(僕)の3人でなんかやれ」と言い、「会ってこい」と言ったという。
 
写真は表面に写ってるものが全てと言われる。その背景にある物語なんて関係ないんだと。
僕もそう思う、写真は写っているものが全て。
でもその前提に何かがあるから写るんでしょう?
その背景に覚悟があるからこそ写ってくるものもあるでしょう?
 
意思を持って会いに来る、ということは、写真の背景に触れられるということ。その覚悟を問われるということ。
僕はそう思う。
 
気が引き締まった。首の後ろの筋肉に細い針を ツン と立てられたような気分になった。
その人とは今度写真を見せ合う約束をした。
 
やるしかない、やるしかない、やるしかない。
 
 
直後、クロネコヤマトが荷物を届けにきた。「受け取りサインをお願いします」と言われ、少し考え、僕は黒いボールペンで受け取りのサイン欄に「覚悟」と書いた。クロネコヤマトは「どうも」と言って扉を閉めて出ていった。
 
やるしかない、やるしかない、やるしかない。
 
 
 
 
 
最近少しずつ体重が減ってきていたが、銭湯で体重計に乗ると元々66キロあった体重がとうとう60キロを切っていて、ちょうど59キロだった。1週間前に測った時は63キロちょっとだったので、1週間で4キロ程落ちたことになる。
 
死んだ瞬間、人の身体は21グラム軽くなるらしい。死んだ刹那に魂が抜けて、その魂の重さが21グラムだからだという。
僕から余計なものが全てそぎ落とされ、魂だけになるまでまだ58,979グラムもある。
 
 
まだまだやな。
まだまだいける。