美しくハミ出すということ

 
 
先月参加させてもらった五十嵐一晴さん主催のイベント『CLASH』のことを大原大次郎さんがブログに書いてくれていて、とてもとても嬉しかった。その記事を読んで思い出したことがあった。
 
 
僕が東京に出て来てから、何度も手紙をくれた人が大阪にいた。その人は高校の同級生の女性で、ある時期、その手紙のやり取りはとても頻繁で、まるで文通をしているかのようだった。
 
 
女性にはそういう気遣いができる人が多いのかもしれないが、その人が送ってくれる手紙の封筒や便箋は二度として同じものが無く、ポストに届くのがとても楽しみだった。
僕だけ毎度毎度同じ封筒で包んで送るのも愛想が無いし、封筒や便箋も毎回買っていてはけっこうな金額になる。それでアパートのポストに投げ込まれるスーパーマーケットや不動産のチラシ、読み終わった週刊誌やマクドナルドなんかのファーストフードのトレイに毎回敷かれている薄い広告チラシなんかを切って貼って封筒や便箋を作っていた。時には食べ終わった焼そばUFOのフタの裏にマジックで手紙を書いて送っていた。
 
 
毎回毎回、そんな意味の分からないもので包まれた手紙が届くので、その人の母親は、娘は山下清や映画『レインマン』のダスティン・ホフマンの様な、いわゆるサヴァン症候群の人と文通しているものだと思っていたらしい。
 
 
そういえば、『TOKYO PORTFOLIO REVIEW VOL.3』に参加させていただいた時のレヴューアー、サンディエゴ美術館ディレクターのクロチカさんにも同じようなことを言われた。「あなたのアートは」、「あなたにとってのアートは」と「アート」と言う言葉を繰り返すクロチカさんに「ノット、アート。フォトグラフ、フォトグラフ!」と答えると、クロチカさんは「オーケー、オーケー。あなたのフォトグラフは立派なアウトサイダーアートよ」と好意的に笑い、自分のデジカメで僕の写真を撮ってくれた。
 
 
アウトサイダーアート(今は、ボーダーレス・アートとかエイブルアートと呼ぶらしいけど、呼び方なんてどうでもいい)と呼ばれる人たちの制作に対する本当に真っすぐに、ひた向きな姿勢に僕は敬服する。僕はまだ到底そこには辿り着けそうにない。
 
 
手紙をくれていたあの人は今元気だろうか。僕の怠惰さから、二通手紙が届けば返事を一通、それが次第に三通届けば一通というような具合になり、いつの間にか手紙のやり取りも途絶えてしまった。
今度また手紙を書いてみようかと思う。