仁義を切る / 阪本勇さん

 
 
自分と同姓同名の人は世の中にどれくらいいるのだろう。
 
『同姓同名とは、姓名(氏名)が同じ読みでかつ同じ表記であること。漢字文化圏では漢字が異なっても同姓同名ということもある』
 
僕と同姓同名、同漢字、さらには同じく写真家の方が和歌山にいる。その阪本勇さんは1945年生まれで、僕よりもずっとずっと長く写真を撮られている。

僕がその阪本勇さんの存在を知ったのは、今から何年も前だった。
 
 
あるフランス人の友人がいて、その友人は仕事で日本の漫画の翻訳なんかもしていて、日本語を話せるどころか、漢字まで書ける。

その友人から、「日本に行くから会おうよ」という連絡があり、後日、日本に来た時に一緒に食事をした。

「そういえば、イサムの写真みたよ」

と言われ、当時、写真で仕事はおろか、作品もほとんど発表したことがなかったので、僕は驚いて、

「え!どこで?」と聞くと、友人は「インターネットで」と答えた。
 
その時はまだパソコンも持っていなかったし、インターネットも「触れたことがある」程度の知識だったので驚いてしまった。
自分の写真はと言えば、ある雑誌の写真賞の末席のような小さな賞いただき、その雑誌に虫メガネで見なければわからないくらいの小ささで写真を一枚載せてもらった程度しか作品を発表したことがなかった。
 
「インターネットってすごいんやなぁ」と感心するばかりだった。

「どうやった?」と聞く僕に対し、

「とっても綺麗な写真だった!でも、イサムのイメージとは違ったからすごい意外だったなー」と そのフランス人の友人は言った。
 
 
 
それからしばらくして、別の友人に「お前と同姓同名の阪本勇っていう写真家の人がいる」と言われ、先日のことに合点がいった。
 
当時僕は自分のパソコンも持っていなかったし、インターネットに関しても本当に疎かった。自分のホームページはおろか、ブログすらなかった。もしかしたら、 ブログ という言葉すら知らなかったんじゃないだろうか。
フランス人の友人はインターネットで「阪本勇」と検索し、その方のホームページを見たのだ。
 
 
http://www.nihonbijutsu-club.com/136/?page=profile
 
 
同姓同名で、同じ写真をやっている阪本勇さんにいつか会いたいと思っていた。
 
 
 
それから、少しは写真で仕事もし、作品も展示や雑誌などで何度か発表させていただくにつれ、「会いたい」という気持ちは次第に「会わねば」という気持ちに変わっていっていた。
 
友人との酒の席で、「同じ名前で同じことやってるんやから挨拶しとかなあかんやろ、あちらの方が先に活動されてるんやから」と言うと、「そんな仁義感じてるんお前だけや、逆に気持ち悪がられるで。あっちはそんなん思ってへんって」と友人に笑われたりもした。
でもこっちはそう感じたんやから仕方がない、僕は会いに行くことにした。
 
 
阪本勇さんのホームページに、メールを送るフォームがあったので、そこからメールを送った。
 
同姓同名ということ。さらに同じ漢字であること。そして自分も写真を撮っているということ。それだけでは会っていただく理由にならないかもしれないけれど、和歌山まで行くので是非お会いしていただきたいと思ってるということ。
 
そんな旨のメールを送った。
一週間経っても、二週間経っても返事は来なかった。
 
他に連絡をとる手立てがないので、どうしたもんかと再度阪本勇さんのホームページを見ると、「インフォメーション」という欄に展示のお知らせが記載されていた。場所は和歌山の画廊喫茶で日時はまさに展示期間中、もうすぐ展示が終わろうとしている頃だった。「なんでこれに気づかへんかったんや!」と思い、その画廊喫茶の住所や電話番号が出ていたので、そこへ阪本勇様宛で、以前メールで送ったことと同内容の手紙を書き、自分の名刺を添え、速達扱いにしてポストに投函した。
投函後、阪本勇さん宛に手紙を書いたので渡していただきたいということを伝えておこうと思い、その画廊喫茶に電話した。
電話には画廊喫茶のママさんが出た。
 
「こんにちは。初めまして阪本勇と申しますが、今、阪本勇さんが展示されてますよね」
と言うと電話口でママさんが きょとん としてるのがわかった。そらそうやな、と思い、事情を1つ1つ説明したら、
「せやけどあんた、阪本さんが展示しはったん一年から前のことやで」とママさんが言った。
 
今度は僕が きょとん とする番だった。
電話を繋いだままインターネットを開き、阪本勇さんのホームページをみてみると、展示は2010年ではなく2009年と記載されていた。
僕が見間違え、勘違いしていたのだ。
ホームページはしばらく更新されておらず、だからメールも返信がなかったのだ。
絶句する僕に、ママさんは「手紙届いたら転送しといてあげるわ」と言ってくれた。
 
 
それから数日後。仕事終わりに携帯電話を見てみると、知らない番号からの着信が残っていて、留守番電話にメッセージが吹き込まれていた。
メッセージを聞いてみると、それは阪本勇さんからの着信だった。
 
11月13日、JR和歌山駅の改札を出たところで会う約束をした。
 
 
12日、ガーディアン・ガーデンの20周年記念展のオープニングパーティーが終わり、そのまま新宿発の夜行バスに乗り込み、僕は和歌山へ向かった。
 
 
 
 
 

阪本勇さん と 伸子さん と 和歌山城
 
 
 
 
奥さんと一緒に迎えに来てくれた阪本勇さんは、わざわざレストランを予約していてくれていた。食事をしながら写真の事、他の様々な事の話しを聞かせていただいた。
食事の後も、車で和歌山県立近代美術館やポルトヨーロッパなど、和歌山を案内していただいた。
 
お土産に和歌山みかんと塩辛までいただいた。
 
 
「突然やのに、色々していただいてすいません」という僕に、「ワシの夢を継いでやってくれそうな気がするなぁ」と笑ってくれた。
 
次の日すぐに東京で用事があったので、その日の夜行バスで帰らなければならなかった。
夜行バスの中で和歌山みかんを頬張った。
挨拶ができてよかったと思った。