写真のど真ん中

 
少し前のこと。

ある人の写真展をみに四谷へ行った。
その人は僕が東京に出てきた10年前にはもう既に大きな賞を受賞し、写真集も出版していて、雑誌等でも頻繁に作品を発表していた。
 
 
 
写真を始めた頃、僕にとっての「写真」とはアラーキー鬼海弘雄アウグスト・ザンダーダイアン・アーバスのように、人間と真正面から対峙している写真こそが「写真」なんだと考えていた。そしてその人が撮る写真は、僕が考える「写真」のど真ん中にあった。
 
その人と初めて会ったのは銀座ガーディアン・ガーデンが主催する写真のコンペの公開審査の時だった。
 
自分が入選すらしなかったコンペの公開審査を見終わり、一人ギャラリーを出ると、坊主頭でピンクの短パンをはいている個性的な風貌の人物がいて、思わず僕はその人物に話しかけていた。その人物がその人だと思ったのだ。
面識も無く、顔も全く知らなかったが、その人の風貌や特徴は噂で聞いていた。
 
最近、腰まであった長髪をバッサリと切り落とし、今は坊主頭であるということ。
その人のラッキーカラーはピンク色で、いつも必ず何かしらピンク色のものを身につけているということ。
 
その個性的な風貌の人はやはりその人で、聞けば、コンペに自分の元生徒が入選しているのだと言う。そしてグランプリを獲ったのがその元生徒なのだと言った。
僕は、自分も写真をやっている者です、と名前を名乗って失礼した。
 
それから一度、新宿で首からローライをぶら下げたその人をバッタリ見かけて挨拶した。僕の事を覚えていてくれていたのかどうかはわからないが、とても丁寧に挨拶を返してくれた。
 
 
 
四谷のギャラリーに着くとその人はいて、先に見にきていたお客さんと話し込んでいた。僕は芳名帳に名前を記入し、白壁に飾られたモノクロ写真を1点1点みていった。するとその人が芳名帳で僕の名前をみて、話しかけてくれた。「初めまして。最近、がんばってるね」と声をかけてくれた。
 
初めましてではなかった。でもその勘違いが余計に嬉しかった。
自分の知らないところでその人が自分の写真を見ていてくれている、そして一人の写真家として名前を認識していてくれている、それが本当に嬉しかった。
 
 
今、自分にとっての「写真」の範囲は大きく広がった。昔はただ僕が写真について勉強不足で無知だっただけで、今はなにも被写体と真正面から対峙したものだけが写真だとは思わない。吉行耕平の『ドキュメント 公園』のような赤外線隠し撮り写真ももちろん写真だと思うし、人が一人も写っていない中野正貴さんの『 TOKYO NOBODY 』なんかも大好きだ。
 
でも、昔よりは大きく広がった僕が考える「写真」のど真ん中には、未だにその人の写真がある。